Monday, May 12, 2014

原子力と環境


この記事には賛成派と反対派の主要な意見が紹介されている。賛成派は「発電コストが安価である」、「原子力発電所は環境に優しい」、「安定的な供給が得られる」。反対派リスクが大きい」、「廃棄物の取り扱い」、「原子力村の存在に対する批判」である

会話パートナーと話した時、一番のポイントは経済だった。原子力は安くて安定的に入手できるので、ビジネスを行うための費用が安い。化石燃料力は偏って存在して、この費用が上がる化石燃料にたよりすぎると、為替相場が安定しない。原子力は必要がある。但し、原子力発電所はよく維持しなければならない。原子力発電所が古すぎるたら、使用停止または改装する必要がある。

後で、宮崎県を考えた。四年間ぐらい私は宮崎に住んで、日常生活を見た。宮崎県は厳しくなったエリアので原子力発電所は地域振になる。しかし、宮崎の環境は本当に自然だ多分原子力発電所は環境によくない。宮崎を去った時、そこに放射能廃棄物が埋められた科学者によると、この放射能廃棄物は大丈夫だそうだが、宮崎は地震もある。本当に安定な安全だと言えるのか。



Sunday, April 20, 2014

家事や子育ては女性の役割


厚生労働省によると、女性の約2人に1人が家族や育ては女性の役割である」と信じている。また5人に3人が育てのために女性のキャリアが中断したり遅れたりするのは仕方がないと考えていることが分かった。

日本の若者が伝統的な男女の役割を信じていることが見られる。

家族や育ては女性の役割か」を?ねたことる、そう思う」とどちらかといえば」が計46.3%だったのに対し、「そう思わない」と「どちらかといえば、そう思わない」は計53.7%だった。

「子育て等のために女性のキャリアが中断したり遅れたりするのは仕方がない」かを聞いたとこる、「そう思う」と「どちらかといえば、そう思う」は計62%だった。男女別で見ると、ほとんど同じで、それぞれ62.961.1%だった

20〜39歳の女性の50%が家族や育ては女性の役割であると信じている。また、育てによる女性のキャリアの遅れは仕方がないについては、15〜19歳の男性と20〜24歳の女性が、それぞれ71.4%、65.7%で、?も多かった。


厚生労は何についてインターネットで15〜39歳の既婚者を含めた男女計3133人を調査した。





Friday, February 14, 2014

日本の集団的自衛権

訪中の米・バーンズ国務副長官、緊張緩和へ近隣国との協力求める」。
2014年1月24日
FNNニュース

1月21日から23日まで、バーンズ国務副長官は中国を訪問したのために戦略安全対話をした。バーンズ氏と中国大統領一方的な行動を避ける重要性を強調した」と近隣国と協力するために求めた。 最近、米国は中国の攻撃的な行動について防空識別圏と離島心配している

会話パートナーと会った時、日本の憲法と集団的自衛権について話した。日本は中国の防御を心配している。米国と日本は安保があるので、米国は本当に心配してい  。日本は自衛隊がある、もし日本 外国攻撃されたら、米国は日本を守る。 最近日本は憲法の 集団的自衛権を改訂したい。日本が中国の最近の行為に反応している。もし日本の憲法改を見直される、日本の同盟 国が南シナ海で攻撃された場合、 日本は助けることができる 。日本の憲法は70年間、それが改訂されたことがない。これについて中国と韓国は心配している。

米国は軍事衝突を回避したいと思う。
もし中国の攻撃的な行動を抑止されたらことできる、日本は求めることができるので、日本は憲法を改正する必要はない。 もし憲法は見直される、日中関係が悪化する。もし中国は日本が攻撃されたら、米国は日本も守る。米国は媒介として、バランスをとる。

Sunday, January 26, 2014

中国経済と日本のアベノミクス

Economistの写真
韓中貿易が中日貿易を追い抜く勢い、中日関係の悪化が貿易にも影響―香港紙」。
2013年12月24日
日本経済新聞、編集翻訳 小豆沢紀子

この記事によると日中の貿易と投資が縮まって、韓中の貿易と投資が日中の貿易と投資を追い抜ている。更に、日本の投資と対アセアン貿易が増ている。この記事の論理から、関係が悪化するから。しかし、私の会話パートナーはこの記事に為替相場がないとおっしゃったので、為替相場と中国の比較優位と海外投資を思うよりに始まった。

二年前日中貿易と投資が減ている。この統計は正しいが、2011年と2012年に円が強かった時、日本円がたくさんの購買力があったので、日本企業の中国がの消費が増えた。今、アベノミクスで日本円は弱いから、購買力が落ちて、そして日本企業の対中投資を減ているも。中国の相場は固定が、日本円対アセアンは弱い

中国は固定相場があるが、中国経済は問題がある。前、中国の比較優位は人口の多さ、安い労働人口だったが、今、中国の人口も、労働人口も減ている。それに加えて、給料と企業の原価が増て、対中海外投資は減少ている。日本企業だけでなく、世界中の企業は出って、中国のGDPも縮まった。

円と中国の比較優位の課題のため、日本企業はもっと安い投資先を見っけなければない。ジェトロによると、日本の対アセアン投資が増ている。日本円は弱いので、日本企業の対アセアン購買力よりに中国。

Sunday, December 1, 2013

将来の夢


私の夢は、日本で英語の先生になることだった。私は教えるのが好きで、夢が叶ったから。その夢が叶ったので、私の新しい目標を考え始めた。

日本に住んだ時、毎日私は大使みたいだった。JET Programmeのモットーは「君は先生だけではありません、君は国の代表。仕事では、仕事が終わったら、社会では、君はいつも国の代表。」日本でJETの仕事が終わった。今私の将来の夢はアメリカの国務省で仕事するしたいことだ。

前のブログには、私は教師の経験を書いたが、ローカルコミュニティーと関わり合うようになった。ほとんど4年間には、私はソフトバレーボールチームに参加した。ほとんど2年間には、私はサルサダンシンググループに参加した。最後に、私は都城国際交流協会と都城の盆地祭りでヤッササンバのダンスをした。この経験は、本当の外交だった。

国務省では、競争が激しいから、私は大学院に行かなければならない。今、私はカリフォルニア大学サンディエゴ校にある国際関係大学院で国際関係と日本語を勉強している。夢をかなえるために、経済やグローバル化などたくさんの科目を一生懸命の勉強するようにしている。いつか日本に帰りたいので、日本語もまだ勉強していきたい。国務省の就職試験は長いが、就職できればと思う。もしできなければ、私の将来の夢も変えるから、この修士課程は新しい機会をくれる。




Monday, November 18, 2013

忘れられない思い出

私の忘れられない思い出は、日本に住んだ時から、初めて海外に住んで、初めてそこで英語と教えて、初めて日本語を勉強したことです。約5年前、私は海外で働くことになった。教えてみたかったから、JET Programmeに申し込んだ。最初、申込みの締切りは11月にいで、そして面接は2月にいたが、最後決定は4月にあった。私の27際の誕生日でに、この決定を知った、本当に一番のプレゼントだた。日本に働くことになった。この経験は新しくてエキサイティングで難かしかったが、一番経験だた。

初めて海外に住んで初めて教えるので、私は本当に心配した。日本語を話さなかったが、三番目の言語が学ばたいかったので、小さい市はいい経験だ。私の新しい家は宮崎県都城市にあったので、都城商業高学校(TOSHO)のAssistant Language Teacher (ALT)になった。

宮崎県へ来た時、きれいな自然に感動したが、本当に田舎だ。幼年時代、私は田舎にいたので、たぶん臨機応変にできる。空港は海に近いが、都城市は盆地にあった。都城市は空港から車で1時半で、田と森は緑豊かな青々になったから、私は感じ入った。7月は本当に暑くて蒸し暑くて、初めて校長先生と教頭先生に会った時、私は汗まみれで、恥ずかしかった。

教頭先生に会った時、教頭先生は私に甲子園に行くように言った。TOSHOが宮崎県大会で勝ったから、全国高校野球選手権大会に大阪へ行った。私の学生と先生は本当に恥ずかしかった、そしてこの経験はそ凄なのアイスブレーカーだ。このゲームでは、TOSHOの気を見た。私はTOSHO人を誇りに思うになった。

いい学校にいたから、私は本当にいつも頑張った。英語の先生は一生懸命働いたから、私も8時半から18時半まで、働いた。一年目は一番難しかったから、初めて教えかった。さらに、後で学校、練習のスピーチコンテストと英会話があるので、時々長い時間働いた。 私はALTだから、先生は私に見て驚いた。「 ALTですか?日本人みたい!」 教えるのはすごく大好きなので、この経験は良かった。私は岩切さやかという英語の先生と友達になった。さやかちゃんはいつも面白くて優しくて助けくれた。時々、さやかちゃんの祖母の家に行った。

1月に、私の父が病気になった時、私は気が重かった。たくさんの友達は遠くの市に住んでいて、ホームシックになった。私の日本語はバラバラなので、日本人の友達がいなかった。この冬は一番難して、寒くて寂しかった。さやかちゃんは私を心配してくれた。

四月、春が来た。この年、元気な一年生に会った。普通、一か二ホームルームは元気ではないが、一年生はいつも意欲的で頑張った。この学生は本当に素晴らしくて、 一年生の卒業式が見たいかったから、まだ4年にいた。この年、新しい校長先生がTOSHOに来た。この谷山先生は前英語の先生を教えたので、谷山さんはメンターみたかった。この経験は珍しかった。私の誕生日は四月で、友達のなほこちゃんとさとこちゃんは私にバースデーケーキをくれて驚いた。私は本当に嬉しかった。

同じ年に、すばらしい生徒に会った、れいなさんだ。れいなさんが一年の時、れいなさんのリズムとイントネーションはナチュラルで、私はれいなさんに「スピーチコンテストを試みてください」と言いました。 れいなさんは一年生の時、宮崎県全商スピーチコンテストで3番になった。後で、さやかちゃんに言った時、このスピーチコンテストで受賞すると、奨学金の対象になると教えてくれた。れいなさんはお母さんだけですので、学校後で、私たちはいつも一生懸命スピーチコンテストの練習か英会話の練習をした。れいなさんが2年生の時、宮崎県全商スピ一チコンテストで一番になったので、東京の全国大会に行った。さやかちゃんと一緒に東京に行って、谷山先生もが出張があって、みんなで一緒に晩ご飯を食べた。スピーチコンテストでは、れいなさんは本当に頑張って、私は誇りに思った。れいなさんが3年生になった時、宮崎県のスピーチコンテストをして、学界学生は競争したので、このスピーチコンテストは高いレベル。れいなさんが6目だったが、職業高校はれいなさん一人だけだ。今、れいなさんは宮崎公立大学にいる。

その後の一年は、簡単になった。  徐々に、私の日本語はじょうずになったので、多くの友人ができた。私は教えることを愛し、日本と友達に会いたい。
さやかちゃんと私と谷山先生とれいなさんは東京にいました。

Sunday, October 27, 2013

私の故郷


私の故郷は北カリフォルニアにあるオーバーンという町です。オーバーンの人口は1万5千人で、小さい町です。サンタモニカに生まれましたが、私が赤ちゃんの時、私の家族はオーバーンに引っ越しました。大学時代と仕事で、サンディエゴにいましたが、幼年時代はずっとオーバーンにいました。そこには、私は嬉しい感じと懐かしい記憶があります。

オーバーンは金の町として有名でした。1848年には、金が見つかりましたので、たくさんの人はオーバーンに引っ越しました、49ersという鉱夫です。また、には、49ersの彫像があるので、カリフォルニアのゴールドラッシュが見えます。1851年に、オーバーンはプレーサー郡の都になりました、そして町にオーバーン裁判所を建てました、けれども裁判所が全焼したから、1897年にこの裁判所を建て、まだ使て。それ以外町中にあるの日本のマーケットがあります。津田諸苦慮雑貨店、1918年に始まりましたが、2007年には休業しました。今、津田はケータリング会社ですが、日本の食べ物ではなくて、アメリカの食べ物です。私の好きなピザ店はOld Town Pizzaで、そのとなりはAuburn Alehouseです。両方が大人気です。1995年には、Phenomenonという映画です、たくさんのシーンがオーバーンで取られました。

オーバーンはサクラメントの北東で、車で45分間ですから、レイクタホに行く時、オーバーンはストップです。夏はとても暑く、冬はとても寒いですが、春と秋は完璧な天気です。アウトドアスポーツ、例えばランニング、ハイキング、乗馬、ラフティングが大人気です。オーバーンは隣にアメリカン川渓谷、そしてたくさんのハイキングトレールにあります。私の両親の家はアメリカン川渓谷ハイキングトレールから5分です。渓谷にはForesthill Bridgeという橋です。カリフォルニアで一番高い橋はForesthill Bridgeです。この橋は映画でよく使いました、例XXXです。Western States Endurance Runはランスコーバレーからオーバーンまでの100マイルのランで、私の高校がゴールです。

オーバーンはきれな町なので、楽しんでください。