国務省では、競争が激しいから、私は大学院に行かなければならない。今、私はカリフォルニア大学サンディエゴ校にある国際関係大学院で国際関係と日本語を勉強している。夢をかなえるために、経済やグローバル化などたくさんの科目を一生懸命の勉強するようにしている。いつか日本に帰りたいので、日本語もまだ勉強していきたい。国務省の就職試験は長いが、就職できればと思う。もしできなければ、私の将来の夢も変えるから、この修士課程は新しい機会をくれる。
Sunday, December 1, 2013
将来の夢
Monday, November 18, 2013
忘れられない思い出
私の忘れられない思い出は、日本に住んだ時から、初めて海外に住んで、初めてそこで英語と教えて、初めて日本語を勉強したことです。約5年前、私は海外で働くことになった。教えてみたかったから、JET Programmeに申し込んだ。最初、申込みの締切りは11月にいで、そして面接は2月にいたが、最後決定は4月にあった。私の27際の誕生日でに、この決定を知った、本当に一番のプレゼントだた。日本に働くことになった。この経験は新しくてエキサイティングで難かしかったが、一番経験だた。
初めて海外に住んで初めて教えるので、私は本当に心配した。日本語を話さなかったが、三番目の言語が学ばたいかったので、小さい市はいい経験だ。私の新しい家は宮崎県都城市にあったので、都城商業高学校(TOSHO)のAssistant Language Teacher (ALT)になった。
宮崎県へ来た時、きれいな自然に感動したが、本当に田舎だ。幼年時代、私は田舎にいたので、たぶん臨機応変にできる。空港は海に近いが、都城市は盆地にあった。都城市は空港から車で1時半で、田と森は緑豊かな青々になったから、私は感じ入った。7月は本当に暑くて蒸し暑くて、初めて校長先生と教頭先生に会った時、私は汗まみれで、恥ずかしかった。
教頭先生に会った時、教頭先生は私に甲子園に行くように言った。TOSHOが宮崎県大会で勝ったから、全国高校野球選手権大会に大阪へ行った。私の学生と先生は本当に恥ずかしかった、そしてこの経験はそ凄なのアイスブレーカーだ。このゲームでは、TOSHOの気を見た。私はTOSHO人を誇りに思うになった。
いい学校にいたから、私は本当にいつも頑張った。英語の先生は一生懸命働いたから、私も8時半から18時半まで、働いた。一年目は一番難しかったから、初めて教えかった。さらに、後で学校、練習のスピーチコンテストと英会話があるので、時々長い時間働いた。 私はALTだから、先生は私に見て驚いた。「 ALTですか?日本人みたい!」 教えるのはすごく大好きなので、この経験は良かった。私は岩切さやかという英語の先生と友達になった。さやかちゃんはいつも面白くて優しくて助けくれた。時々、さやかちゃんの祖母の家に行った。
1月に、私の父が病気になった時、私は気が重かった。たくさんの友達は遠くの市に住んでいて、ホームシックになった。私の日本語はバラバラなので、日本人の友達がいなかった。この冬は一番難して、寒くて寂しかった。さやかちゃんは私を心配してくれた。
四月、春が来た。この年、元気な一年生に会った。普通、一か二ホームルームは元気ではないが、一年生はいつも意欲的で頑張った。この学生は本当に素晴らしくて、 一年生の卒業式が見たいかったから、まだ4年にいた。この年、新しい校長先生がTOSHOに来た。この谷山先生は前英語の先生を教えたので、谷山さんはメンターみたかった。この経験は珍しかった。私の誕生日は四月で、友達のなほこちゃんとさとこちゃんは私にバースデーケーキをくれて驚いた。私は本当に嬉しかった。
同じ年に、すばらしい生徒に会った、れいなさんだ。れいなさんが一年の時、れいなさんのリズムとイントネーションはナチュラルで、私はれいなさんに「スピーチコンテストを試みてください」と言いました。 れいなさんは一年生の時、宮崎県全商スピーチコンテストで3番になった。後で、さやかちゃんに言った時、このスピーチコンテストで受賞すると、奨学金の対象になると教えてくれた。れいなさんはお母さんだけですので、学校後で、私たちはいつも一生懸命スピーチコンテストの練習か英会話の練習をした。れいなさんが2年生の時、宮崎県全商スピ一チコンテストで一番になったので、東京の全国大会に行った。さやかちゃんと一緒に東京に行って、谷山先生もが出張があって、みんなで一緒に晩ご飯を食べた。スピーチコンテストでは、れいなさんは本当に頑張って、私は誇りに思った。れいなさんが3年生になった時、宮崎県のスピーチコンテストをして、学界学生は競争したので、このスピーチコンテストは高いレベル。れいなさんが6目だったが、職業高校はれいなさん一人だけだ。今、れいなさんは宮崎公立大学にいる。
Sunday, October 27, 2013
私の故郷
私の故郷は北カリフォルニアにあるオーバーンという町です。オーバーンの人口は1万5千人で、小さい町です。サンタモニカに生まれましたが、私が赤ちゃんの時、私の家族はオーバーンに引っ越しました。大学時代と仕事で、サンディエゴにいましたが、幼年時代はずっとオーバーンにいました。そこには、私は嬉しい感じと懐かしい記憶があります。
オーバーンは金の町として有名でした。1848年には、金が見つかりましたので、たくさんの人はオーバーンに引っ越しました、49ersという鉱夫です。また、町には、49ersの彫像があるので、カリフォルニアのゴールドラッシュが見えます。1851年に、オーバーンはプレーサー郡の都になりました、そして町にオーバーン裁判所を建てました、けれども裁判所が全焼したから、1897年にこの裁判所を建て、まだ使て。それ以外は、町中にあるの日本のマーケットがあります。津田諸苦慮雑貨店、1918年に始まりましたが、2007年には休業しました。今、津田はケータリング会社ですが、日本の食べ物ではなくて、アメリカの食べ物です。私の好きなピザ店はOld Town Pizzaで、そのとなりはAuburn Alehouseです。両方が大人気です。1995年には、「Phenomenon」という映画です、たくさんのシーンがオーバーンで取られました。
オーバーンはサクラメントの北東で、車で45分間ですから、レイクタホに行く時、オーバーンはストップです。夏はとても暑く、冬はとても寒いですが、春と秋は完璧な天気です。アウトドアスポーツ、例えばランニング、ハイキング、乗馬、ラフティングが大人気です。オーバーンは隣にアメリカン川渓谷、そしてたくさんのハイキングトレールにあります。私の両親の家はアメリカン川渓谷ハイキングトレールから5分です。渓谷にはForesthill Bridgeという橋です。カリフォルニアで一番高い橋はForesthill Bridgeです。この橋は映画でよく使いました、例「XXX」です。Western States Endurance Runはランスコーバレーからオーバーンまでの100マイルのランで、私の高校がゴールです。
オーバーンはきれな町なので、楽しんでください。
Sunday, October 13, 2013
自己紹介
はじめまして。ラバフメリッサと申します。
現在、カリフォルニア大学サンディエゴ校にある国際関係大学院で国際関係と日本語を勉強してあります。ここに来る前はJETプログラム宮崎県教育委員会都城商業高等学校に外国語指導助手をし、主に英語を教えました。
カリフォルニア大学サンディエゴ校にある政治学のPublic Law学科を卒業した後、Sixth Collegeの部長査役、Institute for International, Comparative and Area Studiesのイベントコーディネーター、Global Leadership Instituteプログラムコーディネーターなどをしました。
趣味はスポーツ、旅行、映画監督などですが、ランニングと水泳、ダンスも大好きです。日本で、たくさんの旅行に観光しました。屋久島でハイキングをして縄文杉を見ました。
国際関係や政府の仕事を目指しています。
どうぞよろしくお願いいたします。
Wednesday, October 2, 2013
経歴
学歴
1996年8月 プラーサ高等学校入学
2000年6月 プラーサ高等学校卒業
2000年9月 カリフォルニア大学サンディエゴ校政治学Public Law入学
2004年6月 ケンブリッジ大学に留学
2004年9月 カリフォルニア大学サンディエゴ校政治学Public Law卒業
2013年8月 カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係大学院入学
職歴
2005年1月 カリフォルニア大学サンディエゴ校Sixth College学部長査役
2005年11月 カリフォルニア大学サンディエゴ校Institute for International, Comparative, and Area Studiesイベントコーディネーター
2008年3月 カリフォルニア大学サンディエゴ校国際関係大学院Global Leadership Institute
2009年7月 JETプログラム宮崎県教育委員会都城商業高等学校外国語指導助手
2013年7月 大学院進学によりJETプログラム崎県教育委員会都城商業高等学校
以上
特技
英語、日本語、コンピューター、タイピング、体力、
趣味
スポーツ、旅行、映画鑑賞
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